連隊長、「織部の里」へ行く(続き)

【前回までのあらすじ】

11月19日土曜日の朝、降りしきる雨をついて連隊長以下16名の尾張衆中高年精鋭部隊(うち女子2名)は、美濃国土岐へ向けて出陣仕った。小1時間後、部隊を乗せたマイクロバスは「織部の里公園」に到着。しかし隊員らは雨のため周囲を物見する気力もなく、「創陶園」なる作陶場へどかどかと入り込むのであった。



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ただちに作陶演習開始である。



作陶場の奥には
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このようにサンプルが並べられちょるのじゃ。


  
そして
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向かい側には、国指定史跡である元屋敷陶器窯跡があるのじゃ。



「連隊長殿、なんだか構成が滅茶苦茶のような気がしますけど」

「しょーがないやんけワレ。オラとしては、まず窯の見学→作陶大演習→茶店で一服→昼メシ、の計画だったものを、雨のためいきなり作陶開始するわ、作陶はやらずに早よカマが見てゃーがやとわがままこく奴は出てきよるわで、作戦がワヤになってまったでいかんわ。結局オラ自分の作陶を後回しにするハメになってまったがや」

「ということは、後ほど連隊長殿の作陶の模様が見られると」

「まあ、そういうことやんけ。楽しみにしたらんかいワレ」

「では先に進んで下さい」



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これが元屋敷東1号窯(大窯)じゃ。


「えーと、16世紀後半に当地では、この窯が最初に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などが生産されましたのじゃ。現地では、発掘された跡から当時の姿へと完全復元していますのじゃ」

「その棒読みは、まるっとパンフレットの引き写しですね」

「なんか言うたか。次行くどワレ」



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「半端な写真ですまんが、手前(右下)の土が露出しちょるところが元屋敷東3号窯、その向こうのカットモデルが東2号窯じゃ。東2号窯では瀬戸黒、黄瀬戸、灰志野。東3号窯では志野が量産され、沓茶碗と呼ばれる歪みなどの変化がつけられた茶碗が誕生するのじゃ。志野の中には、後の織部に共通する意匠が見られるのじゃ」

「長ゼリフお疲れ様でした。しかし、えらく急斜面の上に造られたんですね」

「下から吹き上げる風を利用して窯の火が焚けるし、灰や不良品などをポンポン下へ投げ捨てるのに都合がええやんけ。ちなみに、ここで発掘され、展示されている器は失敗作ばかりなのじゃよ」

「え、そうなんですか」

「そらそうよ。完成品は京へ出荷してゼニにせねばならんじゃろーがワレ」

「連隊長殿としては、カケラでいいから欲しいですよね」

「ただ、当時は美濃の名ではのうて、『瀬戸物』として売られたのじゃ。国焼の産地ブランドとしては、お館様が仕切られた瀬戸の方がはるかに有名じゃったからの。なお、ソースは『へうげもの』にて候」

「やがて『瀬戸物』は陶器の代名詞になると。そして一番向こうの階段みたいな建物へ話をつなげるおつもりですね」



【参考資料 】 『へうげもの・七服』 (講談社文庫)

ということで to be continued... でござる。

 

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